「天使が、神さまの後を追っかけていった……」
淀川長治さんの訃報に接したとき、そう思った。
奇しくもその数ヶ月前、黒澤明監督の訃報に接したばかりだった。
黒澤監督は、まさしく、映画の「神さま」だった。
文化に貧弱な日本を哀れんで、神がこのかたをお使しになったのかと思われるような、そんなかただった。
そして淀川さんは、映画の「天使」だった。
「天使」は「神」ではない。もちろん、「人間」でもない。
「天使」は「神」の声を「人間」に伝え、「人間」が誤りなく「神」から授けられたその使命をまっとうするよう、「人間」に指針を与える。
淀川さんは映画において、まさに、そのようなかたであった。
淀川さんは、映画だけでなく、能狂言、バレエ、舞台、歌舞伎、文楽、絵画、彫刻、音楽など、じつに多岐な分野に渡って、該博な知識を有しておられた。それは、たんなる知識ではなかった。知識に生命を与え、感動を再生させる、すばらしい感受性をおもちだった。
淀川さんは、そのような該博な知識を有しながら、大上段からモノを云うような、学者ぶった評論家ではなかった。
映画のことを語られるときの淀川さんは、まるで、小学生のようだった。
小学生が、学校でなにか面白いこと、嬉しいことに出会う。
先生に褒められた、好きな女の子とおしゃべりできた、友だちと駆けっこした、給食に好きなおかずが出た、……。
そんなことがあったとき、一生懸命走って家に帰って、目を輝かせ、息せき切って、ランドセルを玄関先に放り出して、履を脱ぐのももどかしく、台所にいるお母さんに抱きついて、
「ねぇ、お母さん、お母さん、今日学校でね、こんなことがあったんだよ……」
と、云って、そのことを話す。
映画のことをお話しされる淀川さんは、まさにそんな小学生のようだった。
そのお志、その熱情が、みんなに伝わったのだろう。
戦後、日本に外国映画を普及させたのは、淀川さんと吹替技術である、と、称されたものである。
淀川さんによってすばらしい映画を知り、淀川さんによって映画のすばらしさを知り、そうして、人生のすばらしさを、人間のすばらしさを、生きることのすばらしさを知った人びとは、数多くいるに違いない。
淀川さん、あなたは、あなたのお好きだった、あの、『素晴らしき哉! 人生』、あの映画のなかの、フランク、あの天使、そのものでした。
淀川さん、ありがとうございました。